世界は法則であり、運動であり、感覚であり、思想であり、想像力であり、観念である。そのような世界の一端をすこしでも実感しようとして、われわれは本を手に取る。そして問う。本とは何か。まったく素朴な問いである。しかしながらこの素朴な問いのなかに本に備わっている根源的な存在感がある。
本が一冊もない家はあまりないだろうし、いつでもどこでも手に取って見ることのできる本は、さまざまなテクノロジーが生活と密接な関係をもつ現在にあっても、日常のさまざまな局面で活躍している。世界中のあらゆる本を集めても、世界にはならない。そんなことは誰もがわかっている。それにも関わらず、われわれは本を通じて著者が語りかけるメッセージを受け止め世界のすべてを読み尽くそうとする。そこから世界の断片をすこしでも注意深く見ようとする者であれば、意味を汲みとることに、いくばくかの不安と期待をもちつつも、本という存在がもっている表情を体感できるにちがいない。
この演習では、その体感を大事にして、本が根源的にもっている存在感を各自が析出し、結晶化しいった。そのプロセスで、読む、買う、並べるといった行為と必然的に向き合うことになる。そして、最終的にもう一度作品として本をめぐる問いを投げかけることになるだろう。本もまた法則であり、運動であり、感覚であり、思想であり、想像力であり、観念であるかと。
桂 英史