映像を研究することについて

映像研究科で映像を研究する、とはいったいどういうことでしょうか。これまで学部で映像を作ってきたという人は多いでしょうし、社会で実践してきた人もいるでしょう。研究などしなくても、技術と機材があれば映像を作ることはできます。それをなぜわざわざ、大学院で研究しようとするのでしょうか。
少し周囲を見わたしてみますと、映像研究科が2005年に設立されるまで、東京藝術大学には永らく美術学部と音楽学部しかありませんでした。両学部とも明治時代にさかのぼる歴史があり、現在では多くの専門分野を擁しています。特化した分野に分かれているのは、領域が成熟していることのあらわれです。各分野には固有の理論や手法があり、新しく学ぶ人が効率よく過去の蓄積を習得できるようになっています。
それに対して映像では、領域自体が拡大しているために、まだ専門分野を固定することができません。組織の便宜上、修士課程に映画、メディア映像、アニメーションの3専攻と、博士後期課程に映像メデイア学専攻がありますが、例えばドキュメンタリーは映画で撮るべきかアニメーションで描くべきかという問いにあまり意味はありません。映画を撮ることで、アニメーションを描くことで、それぞれにドキュメンタリーに挑戦できます。舞台演出、ゲーム制作、ヴァーチャルリアリティ体験、いずれにおいても映画、メデイア、アニメーションが貢献できるのも同様です。何を語るかというH 的においても、どう描くかという手法においても、まだ映像の領域は動いているといえます。
このような状況での映像研究科の役割は、新しい分野を開拓しながら理論や手法を研究していくことだといえます。研究というとおおげさに聞こえるかもしれませんが、要は作品を作る中で、どのように考え、どのように実現したかを明らかにすることです。一つ一つの考察は個々の作品に特化したことかもしれませんが、考察の過程は後進者にとって有用な指標となり、蓄積はやがて個人の制作の枠を超えて一般化されることで理論や手法となります。研究をする上での問題意識は個人に任されていますが、観客を楽しませる、これまでにない体験を提示して驚かせる、意識されていない問題を発掘して考えさせる、人に見えていないものを映像にするなど、考えるべきことはいくらでもあります。
ただ映像研究科で共通していることを挙げれば、作りながら考えるというスタンスにあるでしょう。一般に実践を通して考えることは、発見をする上で大変有用なことは良く知られています。しかし大学の場ではなかなか実現できないことでもあります。映像研究科には作りながら考えることのできる弐境があることを活かして、参加している一人一人が優れた作品を制作するとともに、研究を通して新しい知見を蓄積していくことが望まれます。その蓄積はやがて将来に、平成時代にさかのぽる歴史といわれるようになるでしょう。

大学院映像研究科長 桐山孝司