上映作品
一部の上映作品は会期中、オンラインでもご鑑賞いただけます。
Program A (修士一年次成果発表)
Coal Miner
植田 彩乃
5min / FHD / カラー / アニメーション
海底650mよりもさらに深い場所にあった炭鉱。本作は、実在した炭鉱を題材に制作したモノクロアニメーションである。すでに閉鎖されている炭鉱での記憶を、ある炭鉱夫の声と彼が見ていたであろう風景によって表現した。そこには、炭鉱のあった時代を知らない作者自身が、炭鉱という場所に対するイメージ獲得していく過程が現れる。
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NANBA Walk and Roll
坂根 大悟
3min / FHD / カラー
本作は、江戸時代の歩行法「ナンバ歩き」を渋谷スクランブル交差点で再現するシミュレーションである。群衆の中に通常の歩行を行う人物を一人だけ配置し、CGによる精密な再現を通じて、「ナンバ歩き」という異質な行為を現代の都市空間に浮かび上がらせる。制限された情報による表現の可能性を追求し、観る者にリアルと非リアルの狭間を感じさせる試みとなっている。
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あなたがわたしにできることはなにもない
手塚 美楽
8min / HD / カラー
父-息子、母-娘の関係は取り沙汰され、論じられることが多いという所感がある。しかし、父-娘関係においてはどうだろうか。ファザーコンプレックスを10数年拗らせている娘として、父殺しを考えるセルフドキュメンタリー。
オンライン公開は終了しました
茅ヶ崎へ、茅ヶ崎へ
福士 りさ
10min / FHD / カラー
1912年に平塚らいてうが発表した「円窓よりー茅ヶ崎へ、茅ヶ崎へ」という文章から、大正〜昭和に活躍した作家である尾竹紅吉と平塚らいてうの関係を読み解いていく。
二人は親密な関係にあったが、その後日本に輸入された性科学の視点から、平塚自身が尾竹を「先天的な性的転倒者」と切り捨てている。
異常な同性愛と正常な異性愛と友愛。尾竹と平塚の関係から、関係性の中に存在する揺らぎを見つめていく。
Portrait of Nike
三ツ谷 麻野
5min / FHD / カラー
私はルーブル美術館にある「サモトラケのニケ」を、絵葉書や教科書、画像検索などの平面越しにしか見たことがない。私の思い浮かべるニケの美しい像は、限られた方向からの情報をもとに想像された、不確かなものに過ぎないのである。実際に見に行ったとしても、私が無意識的に写真に記録するニケは、正面を向いていることだろう。
オンライン公開は終了しましたProgram B (修士課程修了制作展)
家庭内神話
神鳥 伊吹
21min / 4K / カラー
母から届いた「祖先で即身仏になった人がいるらしい」という連絡をきっかけに、私は家系の歴史についてのリサーチを始めた。親族などに話を聞く中で、同じエピソードでも語る人や時代によって異なること、あるいは記憶が曖昧になっていくことを目の当たりにし、口伝の特異さとその奥深さに魅了されていった。
作品を通じて、語り継がれることの意義や、時代を越えて続いていく人々の想いを紡いでいきたい。
鶏下剋上
佐藤 海琳
10min / FHD / カラー
私達は生活する中で命による恩恵を受けている。しかし残酷な一場面を知った時、感情論だけで偽善的な態度をとることがある。そこには私達と消費される命との関係が間接的すぎるという背景があるのではないだろうか。
私は家で2羽のひよこを成鶏まで育て、食べることはできるかどうか、家族の様子を記録した。食を通じ生き物をめぐる倫理観を問いたい。
Is this a vegetable?
佐藤 海琳
10min / FHD / カラー
これは野菜ですか? 循環という言葉をキーワードに、スーパーで売られている鶏肉の骨をオーブンで熱し、粉々にして骨粉を作った。これを有機肥料に、野菜を育てる。普段何気なく食べている野菜にも様々な命が絡み合っているのだ。それを知った上でその野菜を食べた時、私たちは何を思うのかを記録する。
Program C (修士課程修了制作展)
リピート・アフター・ミー
真鍋 創人
9min / 4K / カラー / アニメーション
人間が日常的に脱皮をする世界を舞台にした短編アニメーション。記憶のない少女は、施設で暮らす中で自身が抜け殻であることを知り、その事実を紙に遺そうとする。しかし同じ内容、同じ筆跡の紙が大量に見つかったことで、同じ生を繰り返していたことを思い出し、変えることのできないシナリオを受け入れる。本作は「アニメのキャラクターがどのように生まれ死んでいくか」という問いに対し、空想的な設定で新たに解釈した映像作品である。
オンライン公開は終了しました
ふりはらうもの
吉川 日奈子
8min / FHD / カラー
登山が好きだった祖母とのやりとりと、山の風景を撮った映像。祖母は活動的な女性だったが、最近は自分の部屋で横になっていることが多くなった。何かが変化していくことに対してどう接するべきか考えるとき、ある種の得体の知れなさがつきまとう。その得体の知れなさは持ち主によって自覚されていない価値中立的な自由さを持っている。風景と彼女を見つめる視線が同種のものであると気づくとき、得体の知れなさは安堵に変わる。
オンライン公開は終了しました
最終回で思い出した、あのビデオ
川本 仁紀
12min / FHD / カラー
幼少期の、過去にあったかもしれない失われた記憶について想像したい。作者本人も忘れているため憶測になるのだが、幼少期というのは、認知する全てが真新しく、それは生の実感そのものだったはずだ。例えば、母の自転車の後ろに乗せてもらったときに感じる風は気持ちよく、感動したりする。成長の過程で誰しもが社会の参入を強いられ、均質化されていく中で、成長の過程で置いてきてしまった実感を取り戻したい。
オンライン公開は終了しましたProgram D (修士課程修了制作展)
すこし遠くの丘に
飯塚 美愛
25min / 4K / カラー
2024年9月、私は父と十数年ぶりの再会を果たし、ニ週間彼の家で共に暮らした。彼の住む韓国へ渡る前、友人たちに会い父親との思い出について話をした。日々の中で徐々に出来上がっていくひとつの詩とその朗読は、父と離れて暮らすことになった要因や想いを明かしていく。
オンライン公開は終了しましたHEIGHTS SUNRISE
松本 桂
43min / 4K / カラー
昔、湖のほとりに小さな隕石が落ちたことがあった。ふたりの子供が落下地点を見に行き、そこで紫色に光る小さな石の破片を見つけた。ふたりは破片を持ち帰り、空き地に埋めた。やがてその空き地にはアパートが建った。ハイツ・サンライズ。住人たちが次々に事件を起こすので、街では不気味がられていた。
オンライン公開は終了しましたProgram E (修士課程修了制作展)
Beckett Anthology
都路 拓未
45min
不条理やない。こんなんただの日常やって。サミュエル・ベケットの戯曲『Come And Go』『Act Withtout Words II』『…But The Cloud…』を同郷の友人と映像化した作品群。旧友と久しぶりに会うと昔と変わらず笑い合い、同じ話題を繰り返している。変わらないことが救いなのか、それとも枷なのか。とりあえず外に出て、遊ぼう。